西南隅櫓や多聞櫓
明治維新後、14代藩主の徳川慶勝は新政府に対して、名古屋城の破却と金鯱の献上を申し出た。
しかしドイツの公使マックス・フォン・ブラントと陸軍第四局長代理の中村重遠工兵大佐の訴えにより、山縣有朋が城郭の保存を決定。
このとき、天守は本丸御殿とともに保存された。1872年東京鎮台第三分営が城内に置かれた。
1873年には名古屋鎮台となり、1888年に第三師団に改組され、終戦まで続いた。
保存された本丸は、1891年に、濃尾大地震により、本丸の西南隅櫓や多聞櫓の一部が倒壊したが、天守と本丸御殿は大きな被害を受けなかった。
1893年、本丸は陸軍省から宮内省に移管され、名古屋離宮と称する。
その後、名古屋離宮は1930年に廃止されることになり、宮内省から名古屋市に下賜された。
名古屋市は恩賜元離宮として名古屋城を市民に一般公開し、また建造物や障壁画は国宝に指定された。
太平洋戦争時には金鯱を空襲から守るために地上へ下ろすなどしていたが、1945年5月14日の名古屋空襲。
しかしドイツの公使マックス・フォン・ブラントと陸軍第四局長代理の中村重遠工兵大佐の訴えにより、山縣有朋が城郭の保存を決定。
このとき、天守は本丸御殿とともに保存された。1872年東京鎮台第三分営が城内に置かれた。
1873年には名古屋鎮台となり、1888年に第三師団に改組され、終戦まで続いた。
保存された本丸は、1891年に、濃尾大地震により、本丸の西南隅櫓や多聞櫓の一部が倒壊したが、天守と本丸御殿は大きな被害を受けなかった。
1893年、本丸は陸軍省から宮内省に移管され、名古屋離宮と称する。
その後、名古屋離宮は1930年に廃止されることになり、宮内省から名古屋市に下賜された。
名古屋市は恩賜元離宮として名古屋城を市民に一般公開し、また建造物や障壁画は国宝に指定された。
太平洋戦争時には金鯱を空襲から守るために地上へ下ろすなどしていたが、1945年5月14日の名古屋空襲。
update:2010年02月27日
